三遊亭円朝

今日は、落語中興の祖<三遊亭円朝>の命日です.1900年に62歳の生涯を閉じました.落語のほうでは、亭号というもの≪三遊亭・柳家・桂など≫がありますが、三遊亭の長は円生です.昭和の名人といわれたのは六代目です.しかし、円朝という名はその後継いでいる人がないほど大きな名前なのです.二代目円生の弟子で、道具入りの芝居噺を得意にしていました。(現在、その噺は八代目の正蔵師匠から正雀師匠に伝わっています.〉ところが、寄席で師匠が先に円朝が話そうとしたネタをやってしまうので、円朝は困ってしまいましたが、これは師匠の自分に対する励ましととり、自分は新しい噺を創作しはじめたのです。「累草紙(後の(真景累ヶ渕〉」が最初で、「菊模様皿山奇談」「緑林門松竹」「双蝶々雪の子別れ」「怪談牡丹灯篭」「怪談乳房榎」「塩原多助一代記」など数多くの作品を創作し、明治の文豪二葉亭四迷などにも言文一致の影響を与えました.芝居にも数多く仕組まれたり、映画化もされたりしています.他にすごいのは、外国文学を紹介され、それをヒントに新しい噺を作り出しました.一例として、フランスの劇作家サルドウの正史劇「ラ・トスカ」を翻案して、「錦の舞衣」という作品を作り出しました.最近、若手の柳家喬太郎が演じています.モーパッサンの「親殺し」という小説から、「名人長ニ」という話を作りました.
円朝まつり」の項で書きましたが、昔は曜日に関係なく、谷中全生庵で法事が執り行われていました。「円朝忌」といいます.全生庵には、円朝の墓の隣に山岡鉄舟の墓もあります.鉄舟は円朝の禅の師であったといわれています.
いずれにしても、落語にとり大切な人であることは間違いありません.何かの折に、円朝の作品にふれてみてください.
人間描写の素晴らしさ、時代背景が良く書かれており、芝居を見ているようです.人情噺「文七元結(ぶんしちもっとい〉」は良く歌舞伎座で上演されます。機会があったらご覧ください.